413man
『一つ願い事が叶うとしたら何がいい?』
そんな事テレビアニメで言ってた。
eighterならあの曲を思い出すかな?
みんな考えた事があると思うけど、もし自分だったらって、この曲を初めて聞いたときぼんやり考えたけど、今、その頃に思い描いた願い事なんてひとつも思い出せない。
だから、改めて、もう一度、横が歌詞に綴ってたみたいに考えてみた。
お金持ちになってみる?
可愛い彼女(自分の場合はかっこいい彼氏かな?)と付き合ってみる?
ギャルの★★★★(んーギャルじゃなくてすばちゃんのパンティーほしいな←)もらってみる?
願い事を100コにしてもらう?
歌詞通りに考えてみたけど、なんかどの願い事もぼんやり『そうだったらいいな〜』とか思うだけで、本当に叶えたいことはないんじゃないかなと思って、結局横の言うとおり『結局決まらずいつもうやむやで終わってた』んだよね。
12月14日土曜日、21時56分
大好きなじいちゃんが天国へ旅立ちました。
じいちゃんが旅立った日、初めて一晩、一緒にいた時に、もう一回考えてみた。
『じいちゃんとまた美味しいご飯食べながら何気ない日を笑顔で過ごしたい』
まだ、じいちゃんがいなくなったことが全然信じられないまま、色んなやらなきゃいけないことを進めてって、写真を見れば笑ってるじいちゃんがいて、思い出が頭の中で流れて、そしたら、涙が出てきて…分かってるけど信じられない分かりたくない、そんな気持ちのまま今日まで、もしかしたらこれからも過ごしていくんだろうなと思ってる。
横みたいに歌詞に出来ないし、歌を歌うことも出来ないけど、自分なりにじいちゃんとの思い出とか、今の想いを文や言葉にして、思い出したり、向き合ったりして、じいちゃんもうちもそれぞれの道へ頑張って進めるように。
思い出したり、時には笑ったり泣いたりすることが、じいちゃんへの供養…って言葉はちょっと悲しいから、じいちゃんへの応援?元気が出るおまじないになればいいなと思って、ちょっと書かせてもらいます。
元々心臓が弱くて、5年前ぐらいに入院してたけど、お見舞いに行けば笑いながら「毎日暇じゃらいね〜」って。元々口数は多いほうじゃなくて、うちとかお母さん、ばあちゃんが話してるのを笑いながら、たまにぼそっと喋って一緒に笑ってることが多かったな〜
だから、お見舞いに行ってもじいちゃんが話した何倍もうちとお母さんが話してそれを聞いてる感じだった。
5年前の入院は短い期間で、退院したときに快気祝いで親戚集まって美味しいご飯食べて、集合写真撮った。みんないい笑顔だった!じいちゃんもやっと病院食じゃなくて、みんなのわいわい話してる中にいれて楽しそうだった!あ〜退院して、元気になって良かった〜って軽い感じで。今、思えば、じいちゃんは元気になるってことが当たり前に思えてたから、軽く良かった良かったって感じてたんだろうな。【当たり前】って感覚は今となればこんなにも憎いものなんだね。
じいちゃんは5年前入院してる時、それよりも前もだけど、痛いとか苦しいとか辛いとか弱音を吐かない人だった。聞いたこともないし、だからじいちゃんは入院してても無敵だから、きっとすぐに治るんだろうなって思えてんだよね。
今年の5月、令和になって数日経って突然入院することになった。また、すぐに退院出来るんだろうなと思って、お見舞いも月に一回しか行ってなかった。
入院するちょっと前にじいちゃんの家に行って【令和】って字を誰が綺麗に書けるかを勝負して、でも、やっぱり、じいちゃんの字が一番綺麗だから「じいちゃんに勝てるわけないじゃん!」ってじいちゃんの字を真似て書いてたら、じいちゃん嬉しそうに「ふふっ(笑)」って笑いながら、テレビを見てたな〜
つい最近まで元気だったし、また今回も2、3ヶ月経ったら退院出来るだろうと。
でも、肺に水が溜まって、背中から注射で水を抜いて…これを毎週毎週繰り返してるのに一向に良くならなくて、、、じいちゃんはちょっと痩せちゃって。毎週、痛い思いしてるのに、早く退院できますようにって思うことしか出来なくて。
この病院ではこれ以上治療が出来ませんってなって、転院し、ここでじいちゃんは最後の日まで一生懸命頑張って治療してた。
お見舞いに行けば「今日は仕事休みや?」って毎回聞いて、まあ、じいちゃんから話すのはこの言葉だけで、あとは話したことに頷いたり、笑ったり。最後に帰るときにまた次の休みに来るからねって言えば笑ってばいばいって手を降ってくれたんだよね。
でも、お見舞いに行く回数を重ねるごとに、じいちゃんはどんどん痩せていっちゃってて。身体を動かすのもどん自分の力じゃ動かすことが出来なくなってて。
そんな中、10月24日に医者の人に「もうこれ以上治療は出来ません。いつ何が起きてもおかしくありません」って言われたといとこのお母さんから連絡が来た。10月いっぱいかもしれないと。信じられなくて、それを聞いてすぐに病院に行った。また痩せて辛そうだったけど、元気そうで笑ってたし、じいちゃん頑張ろうねって言えば、うんうんって笑いながら頷いてたから大丈夫!じいちゃんはまだまだ生きれるって思えた。握手しても力強く握り返してくれたもんね。
お医者さんが何を食べてもいいですよって、きっといつ最期の日が来てもおかしくないから、最後の晩餐的な感じなんだろうな。そこから、今まで病院食しかもちろん駄目だったし、飲み物の量とかも厳しかったのに、色んなことが解禁になって、じいちゃん勘がいいから、自分はもう長くないって気づいてたかもしれない。
そこから、うなぎ、ばあちゃんの手料理、巨峰にしろくま(アイス)、三ツ矢サイダー、カツ丼、たこ焼き、、、挙げたらキリがないほどじいちゃんは大好物を毎日毎日食べて、どんどん表情も明るくなって、お医者さんの言ったことは嘘なんじゃないかな?って思うぐらい11月は何事もなくじいちゃんは過ごしてた。じいちゃんに何が食べたい?って聞けば「○○!」って答えてくれて、それを次持ってくるってのがじいちゃんとうちとお母さんとのルーティンにさえなってた。
じいちゃんは来年の1月1日で88歳で米寿だから、それまでに元気になって、家に帰って金色のちゃんちゃんこ着ようねって。…でも、一応何か起きてしまったら、もしものときのために、金色のちゃんちゃんこを借りて、ばあちゃん、いとこ家族、うちの家族で写真を撮って、じいちゃんも「こんなお祝いせんでもいいのに、米寿とかやらんでよかのに」って言いながらも笑ってピースしてくれるシャイだけどお茶目でかわいいじいちゃんだった。
12月に入って、背中、お尻、腰と痛みを訴えるようになった。じいちゃんは狭心症を発症してて、寝転ぶことは息苦しくて出来ないから、寝たきりじゃなくて、座りっぱなしでそれでお尻とかが床ずれしちゃって痛くなってたんだろうな。弱音、辛いとか痛いとか言わないじいちゃんが「いててて…」とか言うようになって、痛そうな表情をする度に、考えたくないことを考えてしまって…。前よりももっともっと痩せてって、ついに、食べたいものも言えなくなった。
12月7日に老廃物が少ししか出なくなり、飲み物を飲んでるのにその分排出されなくなって…寝たいのに身体中が痛いから全く寝れない日が続いて、そして、13日の金曜日…こんな偶然あるんだね…(笑)ちょうど休憩中だった時に、いとこのお母さんから『じいちゃん危篤』一番見たくない文字だった。テンパって危篤って文字の意味が分からなくなったぐらい、頭が真っ白になった。仕事を早退して、弟と一緒に病院に向かった。じいちゃんは意識はあったけど、相変わらず痛そうで、意識も朦朧としてて、目も開いてるけど目は合ってる感覚無くて…痛いって言うのが精一杯で、痛いと言えば背中をさすったりして、じいちゃんの背中はもう、ほぼ骨の皮ぐらいまでやせ細ってて、、、見るのが正直辛かった
お母さんも仕事終わりにかけつけて、じいちゃんの姿を見て涙流してて、それ見てうちもつられて泣いてしまって。じいちゃんが一番辛いのに泣いたらダメなのに、涙止まらなくて、お母さんも辛いのにうちが泣いてたら、お母さん思いっきり泣けないのに、涙止めなきゃいけないのに思えば思うほど涙は溢れてきて。
ばあちゃんも娘たちも孫たちも全員集まって「じいちゃん年越さなきゃ!ここまで頑張ったじゃん!」「お餅とかばあちゃんの雑煮とか美味しい食べ物食べられるよ」って色んな言葉かけるけど、頷くことしか出来なくて。
そしたら、突然、じいちゃんの意識はっきりして、黒目がちゃんとパッと、なんて言えばいいかな、さっきのじいちゃんとは全く違う表情になって「みやび、○○(弟の名前)、」って名前言ってくれて「みやびだよ〜!ここにいるからね〜!」って手を握りながら伝えたら、手をぶんぶん握り返しながら「ありがとうね、ありがとう」って言ってくれて、そんな自分がものすごく辛いときに『ありがとう』って言えるじいちゃんの優しさに泣いちゃって…「全然気にしなくていいから、じいちゃん元気になろうね〜!じいちゃん、がんばれ〜!」しか言えなくて
じいちゃんが入院してる病院は20時までしかいられなくて、でも、一回危篤状態になったからばあちゃんが泊まることになって、帰りたくないけど、みんなで「明日、またしろくま持ってくるから頑張るんだよ!また明日ね」って言って帰った。
次の日、いとこのお母さんと弟が朝からお見舞いに行って、ばあちゃんは夜中もずっと痛がるじいちゃんの背中をさすってあげてたから、ばあちゃんが寝てなくて倒れるとじいちゃんが心配しちゃうから、一旦ばあちゃんに休んでもらおうってことでバトンタッチしてばあちゃんは家に帰した。
いとこのお母さんと弟も朝から昼ぐらいまで看病して、その間、何回も危険な状態になったみたい。でも、じいちゃんはいっぱいいっぱい頑張ってくれてた。意識朦朧になりながら、じいちゃんがね、精一杯の力を振り絞って「サイダー」って。弟は急いで買いに行って、じいちゃんに飲ませようとしたら、自分の手でじいちゃんは飲んだんだよ!すごいよね〜!じいちゃんは入院するようになってからお酒飲めなくなって、そこから三ツ矢サイダーばかり飲んでたから、嬉しかったのかな?また、1時間ぐらいしてからじいちゃんが突然「しろくま」って言ったらしくて。弟はまた急いでしろくまを買いに行って。じいちゃんはもう口を閉じて食べるのも難しくなってたから、病室に着くまでに弟はしろくまを温めて食べやすくしてたみたい。そんな優しさにも泣けてきちゃうよね。じいちゃんが美味しそうにしろくまを食べてる動画を見て、あぁじいちゃん苦しそうだけど、もしかしたら奇跡が起きるかもしれないと思いながら病院に向かった。
次は弟といとこのお母さんとバトンタッチして、うちとお母さんといとこのお兄ちゃんと看病。じいちゃんはたまに痛そうにするぐらいで、病状は落ち着いてたように見えた。じいちゃんが好きだった演歌のYouTubeを見せたり、お母さんとくだらない話して笑い合ってるのを聞いてたり、なーんにも起こらなかった。そして、その間に弟もまた病室に来て、ばあちゃんも来て、手を握りながらみんなで話した。
この日はいとこのお母さんが泊まる予定になってたから、看護師さんにいとこのお母さんが来るまでは20時過ぎても病室にいていいですよって言われてそれまでじいちゃんと一緒にいることに。じいちゃんは少しだけどスースーって寝息を立てながら眠ってて、じいちゃんが痛みを忘れて眠れて良かった〜って寝顔を見ながら思って。そうこうしてたら、いとこのお母さんが来てバトンタッチ。「じいちゃんまたね〜」って、それが最後の言葉になるなんてね。
病院から家に帰り着いたときにいとこのお母さんから泣きながら電話が来て、急いで病院に戻ったけど、最後には間に合わなかった。じいちゃんはまだ温かいのに、ただ眠ってるみたいで、じいちゃんやっと寝れて良かったねって思えるぐらい、でも、お医者さんが確認して機械を外してって、、、、分かってるんだけど、信じたくない、けどもう涙は止まらなくて
さっきまで手をぎゅって握れば握り返してくれてたのに、さっきまで痛い?背中さすろうか?って聞けば頷いてたのに、しろくま食べる?って聞いたら頷いてほんの少しだけど食べてたのに、まだ触れば温かいのに、
人の死っていうのはこんなにも突然で悲しいとかの言葉なんかで表現できないぐらい、もう、無。
じいちゃんと一緒に葬儀場で泊まることになって、一晩、じいちゃんと一緒にいて、色んな思い出を思い出した。
じいちゃんはいつも家に行けば「腹は減っちょらんか?」って聞いてお腹空いたって言えば、お菓子とかジュース、美味しい肉料理を作ってくれたり、口数は少ないけど、ちゃんと話は聞いてて、あそこのあれが美味しいって言えば買ってきてくれてたり、ほんとに優しい、優しさしかないじいちゃんだった。
怒ったところも見たことなくて、いつもにこにこしながら、話を聞いてくれた。誕生日には「これで美味しいもん食ってこい」って言ってくれたり。
人に心配かけたりするのが苦手なのか、それとも我慢強いから言わないだけなのか、まあ、どっちもだろうけど、病気とかしてても後から聞かされることがほとんどだった。でも「寒くないか?こたつで温まれ」って言ったり「風邪を引いちょらんか?」って聞いてくれたり、人の心配ばっか。
きっとそんな優しいじいちゃんだからこそ、本当はもっともっと痛かったはずなのに、なんなら「痛い」って言葉も言うことすらしんどかったはずなのに、しろくま食べたいとかサイダー飲みたいとか言ってくれて、食べてる姿、飲んでる姿を見せて安心させようとしてたのかなって思ったり。食べるのも飲むのも痛くてそれどころじゃないはずなのに、、、
じいちゃんの笑ってる姿を思い出して、じいちゃんありがとう、ありがとうね〜って言いながらじいちゃんと一晩過ごして、じいちゃんの優しさにいっぱいいっぱい助けられたし、じいちゃんの優しさは色んな人を支えてたんだなってお葬式をして再確認出来た。
たくさんの人が涙流して、じいちゃんの人生は素晴らしい、みんなに愛されて最期の日には涙を流してくれる人たちと巡り会えて、じいちゃんは良かったなって思えたな。涙は止まらないけど、笑いながら「あのときじいちゃん○○してたよね〜」とか「じいちゃんほんとに頑張ったよね」って言える、明るいお葬式になった。
じいちゃんはたくさんたくさん人のために頑張ってた。常に人のために生きてる人だった。自分のことは後回し。記憶力良くて、ばあちゃんとの結婚記念日には必ずケーキを買ってきてた。いとこのお母さんとお母さんの誕生日の時は、大人になってもケーキを予約してて「予約してるから取りに行けよ〜」ってシャイだからおめでとうは言わないけど、ちゃんとお祝いしてくれる優しいじいちゃん。
甘いものが大好きで、お茶目で、照れ屋でシャイだけど、人が喜ぶこと、嬉しそうにしてるのを見て自分も幸せだと思えるほんとに大好きで大好きで仕方がないじいちゃんだったし、これからもそう。
お葬式でじいちゃんの写真を並べて見てたら、じいちゃんの米寿の写真を飾ったコルクボードに【米寿 88】の文字が書いてあって。このコルクボードは病室に飾ってて。
いつも病室に行って見るときは、なにも書いてなくて。じいちゃんが書いてたんだって。ペンを持つのもしんどかったはずなのに、力を入れるのもしんどかったはずなのにね。こんな時までもシャイでお茶目なじいちゃんなんだってほっこりしながらも、ものすごく寂しくなって。「米寿祝いなんてせんでもいいのに」って言ってたのに実はじいちゃん嬉しかったんだなって思ったら、やって良かったって。
88歳になるまで生きることは出来なかったけど、フライングで88歳のお祝い出来て良かったなって思った!
じいちゃんは優しくて、温かい人だった。大好きなじいちゃん。愛するじいちゃん。
たくさん、頑張ったね、たくさん痛かったね、たくさん苦しかったね
まだまだ天国までの道のりは長いかもしれないけど、でも、いっぱいいっぱい頑張ったから、いっぱいいっぱい人のために生きてきたから、今度はじいちゃんのことをたくさんの人が助けてくれるよ!みやびも応援する!
じいちゃんが寂しくないように毎日毎日思い出の話をするね。じいちゃんが大好きな三ツ矢サイダーとしろくまも忘れずにね。
じいちゃん、今まで本当にたくさんありがとう。じいちゃん今まで本当にお疲れ様。
天国でゆっくり休めますように。美味しい食べ物食べられますように。
また、会えたときは笑いながら美味しいご飯食べようね。
天国でも優しくて温かいじいちゃんがみんなに愛されますように。
大好きなじいちゃん、またね。